2010年2月2日火曜日

雪化粧



久々の大雪、瀬田に積もるのも一昨年以来でしょうか?
一昨年はもっと大量に積もっていたような気はしますが。
瀬田って寒い寒いとは言いますが、あまり積雪はしないんですよね。

夜にはもう溶けてしまいましたが、こういう景色もたまには良いもんですね。

2010年1月31日日曜日

安全守る?瀬田東に防犯カメラ設置

一昨年6月に発生し、何かと世間を騒がせた秋葉原通り魔事件。
秋葉原では、この事件の発生を受けて、防犯カメラを町中に設置するという再発防止を策を取ったそうです。
そして、多くの町でもこれに習い、防犯カメラの設置を行っている所が増えている模様。


今日、その波が、瀬田東にもやってきたようです。
ボランティア団体によるパトロールや見守り活動を補完するためという目的により、
瀬田東学区全域に計25台の防犯カメラが設置されるとのこと。
これは、今年3月より早くも運用を開始する予定となっています。


このカメラの運営にあたり、気になるのはやはり住民のプライバシー。
この点については、「なくそう犯罪」滋賀安全なまちづくり条例に基づき策定された
「防犯カメラの運用に関する指針」というものに従い、一定の配慮がなされるそうです
例を挙げると、住宅の出入り口は映さない、事件発生時等緊急時以外には映像を見ない、など。


さて、この防犯カメラ、どれだけの効果があるんでしょうか?
1.カメラの設置を多くの人に意識させることで、犯罪抑止力となる。
2.事件発生時に使用し、現場の状況を知ることで犯罪検挙に繋がる。
大まかに言うと、この二つではないでしょうか。


特に、防犯という意味合いでは1の役割が期待されるのではないかと思います。
実際、これを考慮してダミーの防犯カメラも設置するとかしないとか。
本当に効果があるのか、実際にだれだけの効果があるのかは難しいところではありますが…。

「防犯」カメラという点で言えば、2は「犯」罪を「防」げてはいないような気がしますが、
使用により事件解決を図ることで認知度が高まるため、結果的に1に繋がってくるのかもしれません。


カメラの設置については賛否があるでしょうが、
私は防犯意識が高いというのは町として好まれる要因になると思います。
「監視社会」となるのもならないのも使用法によりけり。
今回設置されるカメラには是非とも精一杯働いて貰いたいところです。


龍谷大学生の交通マナーの悪さも、もしかしたら浮き彫りになるかも…?

2009年11月28日土曜日

瀬田を離れ


ここ1か月は毎日守山市に通っています。
というのも、福祉学科の現場実習というやつですね。
守山市内の福祉機関でその取り組みを学ばせて頂いているというわけです。

そういうわけで、いつもは瀬田住民として情報を集めていますが、
今だけは守山市民になりきってこの地域の様々な情報を収集しています。

守山もすごく良いところですね。
瀬田とはまた違った魅力が感じられます。
写真は守山中央に広がる田園地帯。とても気持ちのいい風景でした。

そういえば、この市もどうやら人口が増え続ける一方だそうで。
琵琶湖大橋の存在やJRの新快速が止まることもあり、交通の便が人気なんでしょうか。
この写真の場所からも少し行けば、別世界のように綺麗に整備された新興住宅地があったりも。

このような地域で、古くからの住民と新参者が上手く協力した
町づくりを行えるかどうかは、町の住みやすさにも大きく関わってきます。
これに関しては滋賀のどこにでも言えることだと思います。
温故知新、人口が増え続ける滋賀のこれからの一つのテーマかもしれませんね。


これまで割合瀬田に興味が偏っていましたが、
今回の件もあってもっと滋賀全体を見て回るのも楽しそうだと感じました。
とりあえず琵琶湖一周くらいは在学中にしておきたいところです。
流石に徒歩で、という勇気はありませんが(笑)


※守山豆知識
守山市には名前に反して山は一切ありません。
市内にはずっと平地が続いているのみです。
これは、どうやら比叡山を守っていた地というのが名前の由来だそうです。
こういう地名の由来って調べてみると結構面白かったりするんですよね。

2009年11月10日火曜日

もうひとつの文化祭


龍谷大学での文化祭は一足先に終わりを迎えましたが、
地域の文化祭は先日の7日8日、瀬田東市民センター・緑のふれあいセンターにて少し遅れて開催されました。
第19回となる瀬田東学区の文化祭です。

この文化祭、学区で行われるものとしてはかなり大きな規模のもの。
なんと2日間での来場者は4000人を優に超えています。
瀬田東学区の全人口が1万5000人程度だということを考えると、何とも異常な数だということがよく分かりますね。
また、来場者の中には、文化祭のプログラムを目当てに他学区・他市等から訪れている方もいるようです。

ちなみに滋賀県出身という繋がりからか、現在の文部科学大臣である川端達夫氏も見学に来られていました。
SPのような人を何人か連れ、良いクルマで来場。さすが大臣です。


文化祭の内容としては、学区内各種団体・個人による様々な展示や発表、
押し花や起震車での地震体験などの体験コーナー、
各種模擬店やバザー・フリーマーケット・地産野菜の朝市など、多岐に渡っています。

写真は餅つき大会の様子。このもち米もこの地域にて育てられたものです。
出来上がった後は来場者全員に振る舞われました。


「学区民相互の交流と世代間のコミュニケーションの輪を広げ、明るいすみよい街づくりを目指す」
というのがこの文化祭のテーマですが、今回の様子を見ていると至る所で交流が生まれており、
しっかりと目的に沿ったイベントになっていることを深く実感することが出来ました。

この文化祭がここまで規模の大きなものになっている理由は、やはり住民の力によるものです。
文化祭の実行に関する会議は、開催の半年前から行われています。
また、瀬田東に存在する人・団体の多くが協力しています。

このような住民の力があってこそ、この文化祭はようやく出来上がるものだと思います。
住民のパワー溢れる瀬田東、また一つ魅力を発見したような気がします。

2009年11月4日水曜日

流鏑馬in近江神宮



11月3日、近江神宮で行われた流鏑馬を見に行ってきました。馬の全力疾走は迫力がありました。ここまで近くで見ることは競馬場やトレセンでもできないことなので、貴重な体験になりました。

Canon EOS 30D EFS55-250IS
250mm ISO1600 F5.6 1/60sec

馬場が暗く、カメラには厳しい条件でしたが、いい写真も何枚か撮れました。
これから写真をテーマにした記事は、大きな写真を使って行きたいと思います。

2009年10月20日火曜日

滋賀の人口、奈良を追い越す

写真:比叡山夢見ヶ丘より臨む、西大津の夜景。琵琶湖の形がはっきりと見える。竜王戦後に撮影。

滋賀の人口、奈良を追い抜いた 近畿圏4位に浮上

未だに奈良より人口少なかったとは意外でした。記事には大津、草津の人口増加を書いていますが、湖西、湖北は逆に過疎。米原あたりからは名古屋への通勤圏になったということで、増えているようです。

そういえば、ピエリ守山、イオンモール草津、フォレオ大津一里山が出来てから一年近く経つんですね。当初の計画通りの成果は出ているんでしょうか。ピエリには全く行ってないのですが。

2009年10月19日月曜日

竜王戦二日目、終局まで


渡辺が△4五玉とした局面で、福崎九段、杉本七段が登場。

藤井「じゃあ二人も壇上に上がって戴いて。大乱闘しますか!控え室の検討を教えてください。」

杉本「渡辺竜王が僅かに残しているというのが控え室の研究です。▲3四角に△4四玉で。」

藤井「ほう。ちょっと並べてみましょうか。」

(藤井と杉本が継ぎ盤を動かす。先手を藤井が持ち、後手を杉本が持つ。しばらく進んで、先手の勝ち筋に。)

杉本「あ~なるほど!これはありますね。」

藤井「(ファンに向かって)みなさん、控え室の研究を上回りました!」

杉本「ちょっと待ってください。ここでこうやったらどうですか?」

(再び継ぎ盤が動かされる。今度は後手の勝ち筋に。)

藤井「・・・・。」

杉本「藤井さんの研究を上回りました!」場内が笑いに包まれる。

藤井「相当難解な局面だということですね。」

杉本「そうですね。何が起きてもおかしくない。」

福崎「で、どっちがいいの?」

藤井「わかりません(笑)」

福崎「これだけ喋ってわからんのかいな(笑)」

103手目、森内の▲7一馬とした手は、力のない手つきだった。
検討では▲5五角や▲4五金が予想されていたが、

福崎「これは△6二桂馬の一手。」

藤井「森内さん、諦めている様にも見えますね。死んだフリかなぁ?森内さんは以前、杉本さんと対局したときに、途中千日手含みの時間稼ぎ王手があって、秒読みで反則が無かったか、記録用紙確認してたくらい諦めが悪い人なんですよ。それがこうなるとは、渡辺竜王恐るべし。」

杉本「あの時はちょっとヒヤッとしました(笑)。しかしまだ諦める局面ではないと思います。」

森内、一本指で▲8二馬と指す。

福崎「森内さんに生気がないように見えます」

藤井「諦めてはいけません。僕のときはそんなことないのになぁ。信用が違うのかなぁ(笑)」

ところが、この局面で渡辺の玉に詰み筋があることが判明。森内の玉は際どく詰まないようだ。(局後の検討によれば、渡辺は攻めながら自分の玉を安全にする絶妙手があったのだが、実戦では指されず)

福崎「渡辺さんヤバイですよ」

渡辺、ここで持ち時間を使いきり、一分将棋へ。秒に追われ、頭を抱えながら△4三銀。予定変更が丸わかりで、会場からもどよめきが起きた。

藤井「これは・・・感想戦が長くなりそうです。福崎先生、終わりの合図は先生がお願いしますね。」

福崎「対局者はいつまでも感想戦やりたがるけどね。仕方が無い」

藤井「先手に大チャンスが来ました。チャンスボールです。」

杉本「狙いすぎて空振りすることも多いのですが。▲4二飛車でしょう。」

森内、今度はしっかりとした手つきで▲4二飛車。未だに優劣不明。

渡辺、さらに守りの△5二銀。ここで森内も一分将棋へ。時間ギリギリまで考えて、一本指で▲7一馬と指す。

藤井「金を渡すと先手は危ないんですよ。」

渡辺は△3三玉と指した。これで飛車が詰んでいて、助けるには金を投入するしかない。

福崎「英語で言うと、ワンダフルな手やね。」

どうやらここで後手がはっきり勝ちになったようだ。以下は手順を見守るだけ。鮮やかな手順で、渡辺が勝利を収めた。投了の一手前、森内が声を枯らさぬように、水を含んだのが印象的だった。

しばらく感動の余韻に浸っていた福崎九段と藤井九段だったが、立会いの仕事のために慌てて対局室へ向かう。

終局後、杉本七段に話を聞いた。

shu-ji「すごい将棋でした。渡辺竜王にとっては、後手番での勝利は大きいと思いますが。」

杉本「それもそうですが、この内容で勝った事は大きいと思いますよ。この競り合いを制したのは大きい」

shu-ji「7番勝負は渡辺竜王優位になりましたか?」

杉本「まだなんともいえませんが、今日の将棋を見る限りではそうですね。」


こうして、比叡山延暦寺での竜王戦第一局は幕を閉じた。歴史に残る、名勝負だった。
現地解説に行って感じたことは、WEBの生中継では感じられないものがあったということ。モニターから感じる対局者の雰囲気とプロの解説は、自宅では味わえないだろう。今回は場所が比叡山で観戦者が少なく、ゆったりと観戦できたこともこの満足感につながったと思う。

前夜祭に行って、福崎九段、藤井九段のインタビュー記事を掲載したところ、思いのほか反響があったので、二日目の勝負どころも詳細に記してみることにしたが、いかがだっただろうか。今後も滋賀県で将棋のイベントがあれば、こうして記事にしていきたいと思います。ありがとうございました。