2008年6月19日木曜日

戦争と表現「筆者が語る・戦中『学級日誌』」



龍谷大学瀬田キャンパスで23日まで展示されている、「筆者が語る・戦中『学級日誌』」
関係する講演会が17日、瀬田キャンパスで開かれた。
来場者は、数十人といったところだったろうか。地元の方半分、学生半分。

戦争中に瀬田国民学校(現、瀬田小学校)の児童がかいた学級日誌。
それが63年経った今、瀬田キャンパスに展示されている。

「にくらしきB29 今に見てゐろこの戦」
写真のように、戦時中らしい言葉が踊っている。
通常、このような「鬼畜米英」などの表現の含まれている文書は、GHQが来る前に燃やされる。
教科書はGHQによって黒く塗りつぶされた部分もある。

なのになぜ、この学級絵日誌が残っていたのか。
当時担任だった女性教師西川さんが、自宅に持ち帰り保存していたのだった。
後に、大津市歴史博物館ができる前に資料を集めている機関があったらしいのだが、その関係者に西川さんが関わったことで、この日誌が博物館に所蔵されたという。
その偶然と、絵日誌が描かれた時期を鮮やかに語る現在90歳の西川さん。

面白かったのが、GHQの功罪。
前述の通り、GHQによって葬られた数々の文書。しかし。
大津に来た、GHQ情報教育課とウォルター・マートン中尉。
軍国主義的、と見なしたものを統制していった彼らだが、一方で、全国初の公民館、また全国初の開架式図書館、これらを大津に作ったらしいのだ。
2005年、滋賀県立図書館の県民一人当たりの貸し出し数は日本一、な滋賀。
その下地が、敗戦後の時期作られたのだとしたら、面白い話だ。

地元で戦時中の話はよく聞いていたが、瀬田にきてからはほぼ初めてであった。
瀬田にもひとつだけ、東レの北門?に爆弾が落ちたとのこと。
当時の子供達と先生によって残されていた戦時中の記録。
こうやって、また未来に残っていく。


毎日新聞
講演会:戦中の学級日誌基に、筆者らが当時を語る--大津 /滋賀
中日新聞
出征、空襲をつづった児童 瀬田国民学校学級日誌、龍谷大で展示

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