2008年11月18日火曜日

滋賀にもあった?1000メートルビル計画2

写真は、滋賀一高い、大津プリンスホテル

先日、お伝えした、滋賀にもあったという1000メートルのタワー計画

コメントをいただいたtatsujiiさんの情報を元に、大学が加入している朝日新聞のデータベースサービス「聞蔵2」で記事を検索してみると、当時の様子がわかって面白い。

1989年、昭和64年、1月8日から平成元年。
年頭会見で、当時の滋賀県知事、稲葉稔氏が発表したこの計画。
3期12年滋賀県知事をつとめた稲葉氏、このとき3年目だ。

大津の北西にこの頃計画中だったハイテク工業団地(現びわこサイエンスパーク)に、1000メートルタワーを「民活方式」で立てようというこの話。
琵琶湖があって遮蔽物も無いので、電波通信の実験ができる、というメリットが、県の職員の話として出ている。
バブル真っ只中。
日本各地にあった超高層建築ブームの中のひとつとして、記事に登場している。

東京五輪の年に完成した京都タワーの景観論争を挙げ、

「1000メートル」の構想が、一歩夢に近付くのか、あるいは「バベルの塔」の物語に終わるのか、今のところ定かではない。

と、記事は結んでいる。

参照
朝日新聞、1989年2月7日、夕刊、らうんじ、3面。
「ニョキニョキ“タワー列島” 雲突く1000メートル構想も」


翌、1990年の10月17日。
記者会見で稲葉知事は、この1000メートルタワー計画の断念宣言をした。
ハイテク工業団地、びわこサイエンスパークの構想をまとめる時期が迫っていて、間に合わなくなったため、と記事。

なんでも、タワー建築のために民間をも巻き込んだ調査研究会も発足していたらしい。

「世界一のスクラップをつくる気か」

県民の声として出ている皮肉な一言が、印象的な記事だ。

参照
朝日新聞、1990年10月18日、朝刊、30面。
琵琶湖畔のタワー構想、ビッグな「夢」と消える【大阪】


このころ、全国でこのような計画が立ち上がっていた。
原爆が爆発した地点の高さ、600メートルに合わせた、平和のシンボルひろしまタワー構想(マツダ提唱)など。
平和のシンボルはいいが…何か、違和感を覚えるのは自分だけではあるまい。

バブル期の浮かれ具合が、目に見えるようだ。
現実となってしまったいくつかの「バベルの塔」。

現在、いくつか話題となっている中東の1000メートル超タワー構想。
1990年前後の日本も、世界から見れば、今の中東のようにわいて見えていたのだろうと思うと…。
今から20年後にどうなっているのかは、わからない。


そういえば、人手不足で入国管理法を改正し、外国人労働者を増やしたのも1990年
外国人労働者の労働環境や、彼らの日本社会との軋轢など。
バブル期調子にのったときのつけが、今に影を落としているのかもしれない。

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