「すすめてくれたカメラ買いました!ありがとう!」
先日、お姉さんをひとり一眼レフの世界へ連れてきてしまった。
アドバイスしてから1日も経たないうちに購入。
なんという行動力。
機種はオリンパスE-410。
宮崎あおいがイメージキャラクターである。
ミスチルの曲にあわせたムービーがなかなか良い。
コンパクトデジカメも含めていくつか提示したのだが、良い写真が撮りたいということと、小ささが決め手になったらしい。
きっとお姉さんにも良く似合うことだろうと思う。
人はなぜカメラにひかれるのか
一眼レフカメラ好きは多い。
フィルムを含めると周囲だけでも20人は下らない。
対象やアプローチは全く違う。
自然を撮る人、建造物を撮る人、水槽を撮る人、面白写真を撮る人、シャッター切るだけで写真を残さない人。
聞いてみると、自分の宝物にするとか、人に見せたいとか、理由もさまざまだった。
自分は主に人が対象である。
こんなニュースも。
asahi.com
滋賀の老人施設でポートレート撮影 写真家の大西さん
そういえば、瀬田にもたくさんカメラ屋や写真店がある。
どうだいshu-ji、瀬田のカメラ店めぐりなんて。
みなさんは、なぜカメラを?
じっくり考えてみると面白いかもしれない。
4 件のコメント:
Kさんも罪作りな人だ。これでまた日本に破産者が一人増えます。
しかし人はなぜカメラに惹かれるのか。
実はこの問い掛けには二つの命題を含んでいる。ひとつは、カメラ自体に惹かれているのかということと、もうひとつは、カメラが撮る写真というものに惹かれているのかということである。
前者の場合、カメラの持つ精密な機構と洗練されたデザイン、重厚な質感に、光学技術の粋を結集した交換レンズ群を前にして、そこからミクロな宇宙観を感じ取り、それが少年のような好奇心にカメラ自体が放つ魅力としてストレ―トに働きかけてしまった故の結果なのかもしれない。
一方で、写真そのものへの関心からカメラに手を伸ばした人達は、紛れもなく今そこに存在した空間を、自らの意思で切り取りることで、手のひらに収まる大きさの形とし、それをいわゆる想い出として蓄積させていきたいという欲求が彼らをカメラに向かわせてしまったのかもしれない。
人は文字と紙を手に入れた時、文明を手に入れることができたが、カメラが登場することでそれに色付けができるようになった。眼下に広がる壮大な風景、愛くるしいわが子やペットの表情、今、ここで行われようとしている凄惨な現実。こういうひとつひとつのファクタ―をレンズを通してより忠実に再現したい伝えたいという葛藤が、人を不可避的にカメラに向かわせてしまっているとも言えるのかもしれない。
ファインダ―を通して繋がる自分と社会。カメラは、それを用いる人の意思次第で、我々を偉大な表現者にも仕立て、また卑劣な犯罪者にも貶める、そんな魅惑の利器でもあったりする。
法學徒さん、作家になりましょう(笑
shu-jiは
「絵が描けないから写真を撮る」
んだそうですよ。
これはなかなか本質にせまっていそうです。
shu−jiくんが本当に「絵が描けないから写真を撮」っているとするならば、あまりうまい写真は撮れるようにはならないような気がします。
「絵が描けない」とは言っても恐らくは真剣に絵画に挑戦したことなどは無く、半ば食べず嫌いな印象だけの話だと思います。
国語と数学が論理学という共通の基盤で成り立っているが故に、藤原正彦先生のように数学者には論理的でわかりやすい高い日本語能力を備えた人が多いのと同じように、本当に絵心の無い人が、カメラを手にしたところで、所詮は物真似で終わってしまうだけのはずです。
内にあった自然のイメージ。
現状、最も出しやすかった表現ツールがカメラだったんでしょうね。
メカ好きでもありますから、きっと絵筆より相性が良かったのでしょう。
写真ができる前、自然の印象を残すことや植物の正確な記録を残すことが夢見られていたようです。
彼の被写体はなかなかに王道かも。
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