2008年2月22日金曜日

瀬田はなぜ大津市に編入されたのか

瀬田はなぜ大津市に編入されたのか。
気になっている方もいるのでは、と思う。

昭和42年(1967)、瀬田町は堅田町と共に大津市と合併した。
大津市歴史博物館
大津市、瀬田町・堅田町の合併調印式

瀬田町は、草津や栗東と栗太郡という郡に属していた。
瀬田川以東の地域である。
しかし、この合併の際、瀬田町はわざわざ瀬田川を越えて、栗太郡から離れて、大津市と一緒になった。
これはなぜなのか。

以前に地域史本で探ったところ、河川利用が理由、という記述を見た記憶がある。
琵琶湖、瀬田川は京都や大阪にも影響を及ぼす近畿の水がめ。
ダム建設などの琵琶湖の水利を考える上でも、一つの行政区内にある方が都合が良かった、のかもしれない。

また、先日瀬田東住民の方から面白い話を聞くことができた。
瀬田住民は、編入前から大津市との関わりが強かったというのだ。
話してくださったその年配の方は学生時代、何か競技や大会があると、郡や川を超えて大津市へと赴いたらしい。
住民が川や郡の境界を越えて繋がっていた。

もし、人の関係性が現在の境界線を形作っているのだとしたら、
文化の境界線が瀬田と草津の間にあるとしたら、それもまた興味深い話である。

ちなみに栗太郡がなくなったのはごく最近、2001年のことだ。

余談:
さらに、もうひとつ。
滋賀県でも購読できる中日新聞
滋賀では東側で多く購読されているらしい。
本当かどうかはわからないが、その境が、草津と瀬田の間という話がある。
ウィキペディアでも「中日新聞」と検索してみると、
「東海3県を中心に、滋賀県(草津市以東)(以下略)」
という記述がある。
中日新聞サイトを見ると、大津市を含め滋賀全域もカバーしているので、この情報が正しいかどうかは怪しいが…。

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